太宰治ファン必見の五所川原市
太宰治といえば日本、いや世界に知られる日本屈指の作家ですが、その太宰が生まれ育ったのは五所川原市です。明治42年に津軽きっての大地主の元に生まれた太宰は後に人間失格、走れメロスなどの名作を生み出し、没後も多くのファンを持っている方です。
生誕地となった五所川原市は今も太宰ファンが多数訪れる聖地のようになっています。
五所川原市は東北地方最北部、津軽半島中南部、青森県では中南部に位置している市です。津軽一帯を集約する商業都市と呼ばれていた五所川原市もバブル崩壊による影響を受けて数多くの百貨店が撤退、一筋衰退します。
しかしこの現状を何とか打開しようと、旧市街地を区画整理し、市全体の衰退を食い止めるべく活動をしている街です。
今、この区画整理も注目され、次第に活気を取り戻しつつあるエリアとなっています。
巨大な佞武多をみることのできる街
指定無形文化財となっている御所瓦立佞武多は、高さ20m以上、重さ16tという非常に大型の佞武多で、明治末期、一気に巨大化した佞武多の様式を今に伝えるものです。
明治時代に高さにおける頂点を迎えますが、その後、電線が普及したこともあり、高さを追求しにくくなり小型化しています。
今五所川原市で見ることのできる佞武多の中でも大きなものは、明治40年代に作られていた27mという高さを持つ写真を見て有志たちが復元したものです。
運行経路となる道路の電線、電話線などを整理する事で、この昔からこの地で行われてきた大型佞武多を今に見ることができるようになったといいます。
佞武多をみたいという人は、立佞武多の館に行くとみることができるのです。
大型率佞武多が常に展示されているので、祭の時期以外でも、この迫力満点の佞武多をみることができます。
国際港の遺跡を持っている街
十三湊遺跡という国際港の遺跡がこの街で発見されています。
13世紀から15世紀に営まれてきたこの港は、北日本最大の港町とされ、日本海、北の玄関口とされている湊遺跡です。
西には博多港がありますが、対比されるほどの国際港おとして当時、栄華を極めた存在だったとされています。
現在もその美しい海をこの地で見ることができますが、その昔、国際港として栄えた遺跡は、国指定の遺跡です。
古き時代に栄えた遺跡が今見ることができるのも、この五所川原市の魅力ともいえます。
津軽三味線を習ってみるのもいいかも
五所川原市に暮らすようなら、東北で愛され、伝統として長きにわたって継がれてきた、津軽三味線を習う・・というのもいいと思います。
津軽三味線は叩くように弾く、独特な弾き方がありその演奏は心の奥に突き刺さってくるような感動があるのです。
冬場つらく厳しい気候となる津軽地域、その厳しい大地を感じさせてくれます。
改良を積み重ねて新しい演奏も行われていますし、洋楽器とのコラボなども行われている人気の和楽器です。